日本人宿と放浪癖をもつ人々


  INDEX

ポ ー サ ダ  レ フ ヒ オ  グ ア テ マ ラ
Posada Refgio (Guatemala)

オスタル スークレ  エクアドール
Hostal Sucre (Ecuador)

サルヴァドール  ブラジル
Salvador (Brasil)


ビッグワールド 外国人ゲストハウス (日本)



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ポーサダ レフヒオ   グ ア テ マ ラ
Posada Refgio (Guatemala)

中米ガテマラ共和国の古都 Antigua で有名な安宿(25Quetzal/日)。経営者はガテマラ人だけど、いつでも日本人でいっぱいのホテルならここでは《日本人宿》とよんでも良いだろう。 近くに日本人が経営する本当の日本人宿もあるが、ぼくは専らここ。小さな《風呂、トイレ別》の部屋中心に四十室ほどあり、キッチンがある三階はバルコニーになっていて他の旅行者とのコミュニケーションがとりやすい。スペイン語学校のメッカとして名高いが、ラテンダンスのサルサでも有名なアンティグアガテマラに長居する旅行者は多く、そのためキッチンまでついた安宿レフヒオはいつでも日本人でいっぱい。下にそのPosada Refgio で出会ったおかしな放浪者たちのほんの一握りを紹介しよう。

《川村の爺さん》 川村 政二 (1930? 東北)
英語も全く解さないのに世界中放浪しているおじいさん。主に中国の大理(ダーリ)にいてどういうきっかけで動くのかは不明だが、たまに飛行機で気の向いた時に気の向いた所へと飛んでゆく。キューバへ行ってカストロに会うんだ、と言い出した時も結局何から何まで他の旅行者に手配して貰っていた。彼いわく「日本人はどこにでもいるから。。。。わしを助けてくれるんだ。」世界中で日本人に迷惑かけまくってるらしい。ちなみに入国カードは一度も自分で書いたことがないそうだ。機内に必ず日本人の好青年がいるから、らしい。最近はほとんどボケてしまって、僕が2000年にガテマラであった時は早朝から大声で歌らしきものを歌うのが日課になっていて困った。


《カサギさん》(194? 東京)
ロン(ラム酒)とラテンアメリカをこよなく愛するおじさん。メキシコでゲリラの村へ行って彼らといっしょに暮らす、と言っていた。昔沖縄でダイバーをやっていた頃は真っ黒だったのに皮膚病になって以来白人のように真っ白になってしまったのだとか。やはり放浪者も美白の時代?


《カッチャン》 (1967 愛知)
インド人にもアラブ人にもラテン人にも見える顔立ちだが、日本人にだけは見えない愛知県人。 インドで《アガスティアの葉の占い》をしてもらい、「お主は34歳で6歳年下の女性と結婚するかも知れない。」 と言われたらしく、ガテマラで会ったときはかなり焦っていたように思う。だって彼その時ちょうど34歳だったから。もう35歳になっているはずだけど結婚できたのかなあ?アニメソングのジュークボックスのような人でもあり、聞いたこともないようなマイナーなTVアニメでも『始めの歌』と『終わりの歌』を両方とも『2番』まで歌える。


《Kちゃん》
ロサンゼルスで寿司職人を辞めてガテマラへ来ていた。カードが止められた、と言っていたがハッカーの友達に電話一本入れてちゃんとお金をおろしてきた。彼自身日本の某都市銀から数百万円のハッキング詐欺をしたと語っていた。将来の夢は 「男性の精子が生産されなくなる薬を開発し、それをアフリカなどの後進国にばらまいて世界人口の増加を抑えること」 だって。恐っ!ホンデュラスへショートトリップにでかけて強烈なインフルエンザをお土産にもって帰ってきた。毎日朝から晩まで一緒にカードをやっているときに人の顔に向かってゲホゲホ咳をするものだから、その後日本人放浪者の間で風邪が大流行してしまった! なんて奴だ!


《空手家のヒデ》 (1974 大阪)
チャリダーとしてアメリカを横断し、メキシコ、ガテマラとやってきたがアンティグアでサルサにハマり、ダンスパートナーを見つけて日本へ帰ってしまった。空手の心得があって、女子大生の蹴りを受けたのは良いが『ドスッ』という鈍い音がして以来数日間元気がなかった。
 「今、幽体離脱に挑戦中なんや。なんでもベッドに横になって息を吸いまくったら過呼吸を起こしてできるらしいんや。」 と言っていた。会う度に昨夜はどうだった?と聞いていたが、いつも 「もうちょっとまで行くのに、(こっちの世界に戻って来られなくなるのが恐くて)いつも途中で止めてしまうんや。」 だって。


《アラレちゃん》(1978)
「嗚呼どうしようー。私駄目なんですうう。」がり勉タイプでメガネっ子の信州大生。いつも謙遜しているのは、頭脳明晰だけどおっちょこちょいだからか? ところが空手家のヒデを全治一週間にしたミドルキックは極真空手《××会》仕込みの本物!


《アキラちゃん》(1978)
上記アラレちゃんの信州大同窓生。変質者的な人物を描いた小説を好む。毎晩夕食時に灯す蝋燭に自ら指を近づける癖を見抜いて尋問するとやはりマゾだということがわかった。彼氏はすごく嫌な奴だけど彼女いわく「そこがたまらない!」らしい。


《島ちゃん》 (1973 東京)
レフヒオで知り合いパナハッチェルで再会してサンペドロでホテルをシェアしたトリップメイト(ダブル ミーニング)。 その後エクアドル、コロンビアそして日本でも再会することになる超のつく腐れ縁。ブラジルで葉っぱが見つかり入国からわずか一週間で国外退去。今年念願のカーニバルを見るために再入国を叶えた。帰国した今でも『行ったきり』な風貌で未だ放浪者なルッキングが良い感じ。職質されそうだから一緒に歩きたくないとも言えるけどね。


《コーイチ》 (1973 大阪)
上記島ちゃんと同じくレフヒオ、パナハッチェル、サンペドロまでが一緒で、その後二人でXela(ケツァルテナンゴ)まで行き温泉とTHCを楽しんだ。初めて見た時から(こやつできるな!)と思わせるヒッピースタイルというより国籍不明な民族衣装の寄せ集めみたいなカッコだったが、やはり世界一周してるとこんな風になるのかな?



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オスタル スークレ   エクアドール
Hostal Sucre (Ecuador)
南米エクアドル共和国の首都キトにある有名な安宿。(1USD/日)ガテマラのRefgio にいる頃に Sucre に泊まった旅行者から聞いていたとおりキッチンや屋上スペースなどの条件がRefgioに似ていて且つ部屋はもっと広かった。ここもレフヒオ同様経営者は現地人家族であるがたえず日本人が大勢宿泊しているので、このサイトでは日本人宿と呼ぶ。 毎晩日本人同士で夜食をシェアして作り、その後誰かの部屋で深夜まで語り明かすというのが恒例という面ではレフヒオよりもメリットがあった。(レフヒオの部屋は狭くてせいぜいカップルでもなければ二人と寛げない)大都市で娯楽や近隣に観光サイトもたくさんあるQuitoでゆっくりするには文句無しのホテルといえる。毎晩1USDほどで日本食をシェアできたというのが特にうれしい。さらにおいしーいデザートつきの毎日!


《マコちゃん》 (1969 東京)
N大在学中はパチンコで一千万を稼いだと豪語する男。
警備会社勤務後海外放浪の旅に出る。酒もタバコもやらないが女と博打は大好き。
なぜか旅行業務主任者(一般!)の所持者。
当時はアマゾン河での大魚エルドラド釣りツアーを企画していたが・・・・・。
食べ物に限らずおいしいモノが大好き。現在はおいしい仕事(金儲け)を吟味中。


《天才少年−坂本っちゃん》 坂本 秀則 (1976 埼玉)
 サカモッチャンホームページ 【ムーチャ・スエルテ】
W大卒後海外旅行を始めメキシコ、コロンビア、エクアドルと沈没し捲り、親に借金してまで滞在延長して『だらだら生活』を続けたがある時期から民芸品製作の道へ入り数々の作品を手がける。エクアドルではカジノで負けない方法を発明、コロンビアでは両替して儲ける方法を発見するなど南米では社会の抜け道を見つける事ができたが果たして日本でも?
帰国後も就職せずに「楽して金を儲ける道」を模索中だったが2003年を目前にまたエクアドルへと飛び去った! 日本で挑戦していた財テク株はどうしたんだ?
趣味:夜中の洗濯


《NICK》 Nick Hasumi (1972 埼玉)
エクアドルで会った時はスペイン語学校を紹介してくれたり、一緒にサルサを踊りに出かけたりした遊び仲間。中学生の頃に単身渡米しエクアドルに来る少し前までロスアンジェルス ドャースの日本人プレイヤー向けの通訳をしていたという。
スペイン語もあっという間に身につけてしまった。
仕草がオカマっぽいという噂もあるが、とてもフランクな男だ。


《ゆうじ君》 Yuji Noshita (1970)
やはりサルサにハマっていた一人。毎晩「Um Dos Tres ハイ! Um Dos Tres」 とテンポをとりながらぼくたち男をぐるぐるまわして踊っていた。
元ホストとの噂ありだけあって人の心を掴むのがうまい。が、エクアドルのときはエロハゲと呼ばれる軍団の一人だった。
彼とはその後ブラジルでも再会した。


《まえだ君》 (1974)
エロハゲ軍団総帥。トランス好きでシラフの彼とは話したことがない。その内にアムステルダムに行ってきまーすと言って消えた。公務員になったとは聞いていたがまさか警察官になるとは。日本の警察もなかなかやります。


《キヨシ君》
インド方面のレイブパーティーが好きでその手の情報に詳しい。長髪のヒッピースタイルで皮細工師でもある。スークレにいた数週間で十個くらいの革のバッグやいくつものアクセサリーを次々に製作してしまった。上記サカモッチャンの師匠。その他料理も上手くて、しばしば上手いものを手早く作ってくれた。マイキッチン道具を持ち歩く料理人パッカー。ドラッグ系の知識も広く、口癖は「葉っぱはドラッグじゃないよ!葉っぱでジャンキーになんかならないよ!」だった。もと経理畑の固い男がいつからこんなになったんだ?


《Come−Come隊隊長》ちか
自称「昔オーストラリアで“来るものは拒まず”のカムカム隊隊長を勤めた」有名な女性。酒癖の悪い酒好きで、ある時酔った勢いでスークレの従業員にキスして、真面目な彼に結婚を考えさせてしまった。小料理屋の娘らしく手際よくうまい物を作って食わせてくれた。今は日本で『在宅介護』という真面目ーな仕事に従事する。


《アサノ君》 (1969 愛知)
世界一周パッカー。アフリカ大陸縦断中に自ら丸太を彫りぬいて製作したカヌーで巨大な湖を渡りカバに襲われる。彼いわく「ワニよりもカバのほうが恐いよ!」 旅先で恋した女性を追いかけてコースを変更するくらいだから旅人というよりも放浪者と呼びたい。旅先で覚えた料理の腕はプロ級?


《梅さん夫妻》
 梅さんホームページ 【TIRAKITA】
スークレの従業員カルロスの手伝いで車を購入し世界一周バイカーの青山さんと一緒にぐるり南米周遊をやってのけたツワモノ。なんと一メートル数十センチもある大きなシタール(インドの弦楽器)を持って旅行していた。ある晩皆に聴かせてくれた彼のシタールはぼくらをインドへとトランスポートした。現在亜細亜系ネットショップの店長。


《青山さん》 
青山さんホームページ 【RIDE TANDEM】
グアテマラのポサダ レフヒオで初めて会った時は大きなモトクロスバイクに乗っていた。当時可愛い奥さんと一緒だったけれどエクアドルで再会した時にはもう離婚していて驚いた。梅さん夫妻と車を共同購入して南米周遊してきたこともすごいけど現在も世界一周に挑戦中で詳しいことは彼自身のホームページでわかる。がんばれ青山さん!


《坪ちゃん》 (1966 愛知)
一緒にアマゾン川をボートで下ってブラジルを横断しサルバドールのカーニバルを楽しんだ旅仲間。四度海外にでて世界中で巡った国は数十カ国。禁止されているクフ王のピラミッドに登り周囲の人間が祟りを受ける話など本人のオトボケぶりが面白い。この十年の内六年半は海外放浪しているツワモノ。2年4ヶ月ぶりに帰国後旅仲間の経営する外人ハウスで管理人をしながらフリーターで食いつなぐこの頃。


《ダメ人間》F.Seiji (1970)
世界中のバックパッカーが集まる場所という場所に現れて情報ノートにきれいにイラスト入りの詳しい情報を提供している男。『ダメ人間友の会』なるものの創立者の一人だという。東南アジアでノイローゼになったという噂を聞いたきり音沙汰がない。


《ツトム君》 (1975 東京)
エクアドルの首都キトのスペイン語学校 San Francisco Spanish Schoolの同窓生。スークレで初めて会った時からかなり『トリップ好き』な奴だなあ、と感じていたし、ブラジルのサルバドールで再会した時もカーニバルに陶酔していたけどどういうわけか彼を知る周囲の輩からはなかなか良い評判ばかり聞いていたので(そうか、こう見えてもシッカリしてるのか)という印象をもった。 そして先日とうとう就職が決まったとメールが届いたのでやはり彼は優秀だった、と思ったら今日その仕事は4日で辞めたというメールが来た。がんばれツトム!旗艦の君がそれじゃあ君を尊敬するやつらの未来は暗いぞ!


《松尾くん》 (1976 神奈川)
いつも真顔でもっともらしいことを言うのだが、よく聞くと『なんか違う』。「日本へ帰ったら公務員になります。」 と言っていたが、ブラジルで別れた後 「もう、公務員になるのはやめました。」 になってしまった。何が彼を変えてしまったのかは誰も知らない。


《コースケ》唐溝 康助 (1978 大阪)
陶芸家を目指す発掘調査アルバイター。若いけれどセンスが良くて感心されられた。 将来有望な未来の巨匠かも?スークレ後アマゾン流域で再会し、ブラジルでのアパート暮らしでは2ヶ月も一緒に部屋をシェアした。その時僕にレコードの良さを手引きしてくれた師匠でもある。部屋を訪れた女性のほとんどを口説いていたという節操なし。


《見送りなら薫》(1978-2002 大阪)
酒と女が好きなギター放浪者。 放浪中に作った自作曲 ばかりを弾き語ってくれた。ホテルで出会った旅行者を、その別れのときには名曲『名残り雪』 の弾き語りで見送ってくれた。自称『見送り業』。その他『歩きラーメン隊隊長』の肩書きなど多数。3年7ヶ月海外を放浪後帰国したがすぐに国内放浪。ようやく定職に着いた矢先にバイクによる事故でこの世を去った。彼の死後その遺された楽曲が数多くのバックパッカー達の間で静かに歌い継がれ始めた。彼のストレートな心の響線はどこまでぼくたちのハートに共鳴していくのだろう。「・・・・昔流れ者が君の心に残したフレーズを一つでも思い出してほしい」 こんな歌を遺して彼は死んだ。そして彼の葬儀では十数人のバックパッカーが出席して彼を『名残り雪』で送ったという、天国へと。



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サルヴァドール  ブラジル
Salvador (Brasil)
ぼくはブラジルのサルバドールへカーニバルを見に行き、一辺で気に入ったその街で5ヶ月を過ごした。ここでは日本人宿がなかったので、(自分でつくろうか?)とも考えるほどそこが好きだった。ここにはすでに書いている放浪者数名と一緒に来たのだけれど、その他にも再会した面子、新規放浪者もわんさかでてきた。そのうちの一部を紹介するよ。


《Naoya》 沢田 直哉    ナオヤホームページ 【PELO つーしん】
アメリカ、ボストンの有名な音楽大学在籍時にピアニストとして中国へ渡り中国の有名女優と恋をして、ジャマイカへはジギー・マーリーのライブコンサートでキーボードを担当したという天才。ブラジルへふらっと遊びにきて帰る日に観光案内のブラジレイラと恋して以来ずーとブラジル。不法滞在してるうちになぜか10年間の滞在許可をもらってしまう。2001年サルバドールのカーニバルでは有名なパーカッショングループ『TIMBALADA』でタイコを叩いている。ちなみにボストン在住時は当時 Boston Phil Harmony Orchestra の指揮者小沢征爾さんを《征ちゃん》と呼んで、よくいっしょにオデンを突ついたとか!実はぼくはこのNaoyaの彼女(当時)に一目ボレしてしまったのだけど、彼はぼくに別女の子を紹介し実際ぼくはその娘と3ヶ月間付き合った。つまり彼はぼくらのキューピッドでもあるのだ。


《松本さん》(1970 東京)
『無印良品』の店長の座を捨てて海外放浪。エクアドルに滞在中からブラジル語(ポルトガル語)を勉強していたスケベ。ブラジル人の可愛い彼女に会いたいがため六ヶ月間のウェイティングをせずにパスポートを捨て再発行してまでブラジルに戻ったツワモノ。世間体を繕うためか暇地獄から脱出するためかその両方か、ブラジルの大学受験に挑戦するが勿論不合格!彼女をおいて帰国したが再就職し新居も用意してこの12月ついにその彼女を日本へ呼び寄せる。お幸せに〜!


《Mika》杉本 美夏 (1978 茨城)
典型的なB型のコケティッシュなジャパニーズガール。彼女が街を歩けば《面白いの》がすぐ食いついてくるらしく、それこそ《日替わり》で《変なの》を僕らのシェアしていたアパートに連れてきてくれた。以下がその人々の一部。


Batt
Salvador出身だけど、数年前に家をでて以来ブラジル国内を放浪していた。葉っぱが大好きでいつも「Let's smoke JOOINNT!」とうるさかったが、冗談好きというだけでもなく、すごく気の効く奴で、いなかったらいないで、さびしささえ感じるようになったものだ。


Luiz
Mika がはじめて彼を連れて来たときははっきり言って固まった。ドレッドヘアはそこらでは当たり前だったけれどその頭にストローハットをのせ、60年代のアメリカンヒッピースタイルの服装とアクセサリーですごくシャイな雰囲気を醸し出していて、あまりにも正体不明だったからだ。ところがその後5ヶ月にわたって一番長く彼と付き合うことになったのは他ならぬぼくだった。彼こそは雑誌Latinaにも紹介された中古レコード店の店長だったから。そしてぼくに『生きるスタイル』を口で語らずにそのオーラで教えてくれた兄貴(実は年下)。



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ビッグ・ワールド 外国人ゲストハウス 東 京 (日 本)
日本へ来て二ヶ月経ってから南米で出会ったアミーゴからこのハウスについて教えてもらい、以来そろそろ一年経過。現在もステイ中。海外放浪者にはもってこいの安ホテル感覚で泊れるところが良い。シャワー、トイレ、キッチンなど全て共同。部屋は六畳ほどの個室でテレビ、冷蔵庫、ベッドが揃っているので体一つで入居できる。ラウンジと呼ばれるキッチンの隣の部屋がコミュニケイションの場になっていて、皆仲がよい。
外国人は英語を教えているネイティヴ・イングリッシュ・スピーカーが多い。外国人だけでなく日本人も外国かぶれの人が多くて話もあう。
その他ヨーロッパ人も数人。怪しい中国人はいない。
一泊 3,300(ただし月極め宿泊者の部屋に泊まる場合は2,250円)週極めはなくて月極 64,500円は 5,000円の光熱費込み。
ただしエアコンは2時間百円のコイン式、洗濯機百円、乾燥機40分百円が別にかかる。
部屋はエアコン完備なので冷暖房機具の持ち込みは禁止。

なんだか細かいルールも沢山あって慣れないと面倒だけど、ルールは元々放っておくとやりたい放題の異国の人向けなので一般常識のある日本人には問題無い。
海外の安宿経験者にとってはその料金だけが高く感じるだろうけど日本にいたらどちらにしても働かなければ生活していけないのだから、そう考えれば一般のアパート暮らしと変わらない負担だ。なんと言っても、日常的に英語を使いたい人、そして共同生活の楽しさを知る人には絶好の条件がそろっている。
かくいうぼくもここから抜け出せなくなっていて、この際日本で自分のゲスト・ハウスを立ち上げようかとさえ考え始めた。
この手のハウスは外国人の増加とともに需要も伸びているようで、ビジネスとしてとらえてもおいしいのだ。

やはりこういうところには同じ性向の人間が集まるようで『放浪経験者』やその予備軍の人も多い。最近も数人がイッちゃったんで勝手に紹介しておく。


《アケミ》水野 明美 (1976 福岡)
自称、『外人にモテモテのオリエンタル美人』・・・・・。
福岡出身、大阪経由東京の関西弁モドキ。メイキャップを落とすと別人になるが、免許証、パスポートの写真も全て違う顔なので国際スパイの疑いあり。 東南アジア放浪、オーストラリアでワーキング・ホリデイの経験あり。タイ、インド放浪、ニュージーランドでワーホリなど経験値高し。 現在は地元福岡で親スネかじりながら、フランスのパティシエ学校へ留学など、夢見がちな日々を送る。


《カナ》(1975)
山椒は小粒でも・・・系のボーイッシュガール。上記《アケミ》にインスパイアされて放浪者の道へ。現在、オーストラリアでフルーツピッキングをしながら英語を勉強中。 放浪資金を貯めて、次へ行くのはどこの畑?


《マサヤ》白石 真也 (1977)
ドジ話にはことかかないオッチョコチョイ。出発時刻をとっくに過ぎた深夜に電話があり「いやあー、空港で友達と話していて飛行機乗り遅れちゃいました!」だって・・・。翌日、無事インドネシアへ飛んでいってこちらをホッとさせた。 オーストラリア滞在を経て、現在インド旅行中。この2月に帰国の予定なので再会して数々のドジ話を聞くのが今から楽しみだ。


ロニー ナオコ
ビッグワールドで誕生したカナダ人と日本人の国際カップル。モントリオール出身でフランス語が話せるロニーとフランス留学経験以来、英語までフランス訛りのナオコ(実は松山出身)はピッタリのカップル。タイ、ヴェトナム、ラオスからオーストラリアと旅をしてモントリオールへ。二人の人生の第二章へ、to be continue!


《タカラ》 (1974)
外人ハウス『ビッグワールド』で、日本人としては最も長く住んでいた主。 当時はワーホリ(workaholic)気味だったが、現在はオーストラリアでワーホリ(working holiday)中。


《カズ》印南 和良 (1977)
一見ワイルドで大胆不適な男だが、実は小心者のサーファー(出身:チバ)という噂。 見た目はイカツイ兄ちゃんだが結構お人好しな面もあり、東南アジアでは結構ボラれたらしい。ぶっきらぼうな物言いとは裏腹に繊細な感性を感じさせる一級放浪者。
中国(香港、陽朔) − ミャンマー − ベトナム(フエ、ホイアン、サイゴン) − カンボジア放浪後、現在、オーストラリアでフルーツピッキングをしながら世界一周の資金を貯めている。


《タケシくん》小沢 毅 (1969)
アメリカ留学後、兵庫から上京してビッグワールドに来ていた。現在オーストラリアへ二度目の留学中。お堅いコンピュータの勉強をしているが、実は結構壊れていて面白いオジさん。(坂上次郎系)
放浪者としての資質は未知数。


《Inga》(Newzealand)
ドレッドヘア、ピアス、タトゥ、タンクトップ、サイドポケットのパンツに裸足。いかにもウェスタンの若いバックパッカー、といった風情だけど、荒野のアメリカ女のようなアクの強さもなく、わりと日本人ウケするひとあたりのよい女性。長かった世界放浪から故郷へ戻り、さあ、これからどう動く?


《Serena》(Italy)
日本語ペラペラでアラレちゃん眼鏡の彼女、いわゆる南部の『陽気なイタリアン』とは違い日本人に近い感性の持ち主。気をつけないと言葉づかいも注意されちゃう。自ら『放浪者』を自任する人生哲学者。


その他の放浪者予備軍

《アキちゃん》 毛利 亜紀 (1976)
黒髪のロングヘアで流行を追わないタイプの美人女流画家。その外見とおっとりとした口調、そして全体から発するオーラには誰もが不思議な感覚を覚える。その画風も独特で超アブストラクト。「これ真吾だよ!」と描いてくれた絵を見たぼくは(???)と戦慄した。彼女にはぼくの内面にあるというスンゴイ物が見えるらしい。
十代の頃から一所に落ち着くということのない生活を続けてきた放浪画家だが、東小金井という場所がなぜ彼女を縛り付けるのか?
タカラが去った今、日本人最古参となり、毎月契約延長を繰り返しているが、果たして1年後は如何に?


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H O M E
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